大学院派と学部派

 というとそれはそれで語弊はあるのだけれど。
 社会人で経済の大学院に行って学位を取ろうと言う人は、まあ全国的には、よりどりみどりです。ちゃんと論文を書いて学位を取ろうと言う人の中に、伝統的な学問分野に沿って指導できる人たちはもうあまり残っていません。そんなの誰が指導できるんだよ、という(しかし優秀ではあるし筆は立つ)人たちならまだまだ残っているそうな。
 そういうニーズに応えようとすると、清濁併せ呑む何でも屋の教員が必要。
 ところが、学部学生へ体系的なカリキュラムを提供しようとすればするほど、基本的な、行儀のいい科目の教員は何人いても足りない。
 そこは営業戦略だろう、と言ってしまえばそれまでなのですが、世間といい監督官庁といい、「この側面は捨てましたからそこんとこよろしくっ」という大学の選択を、どうも許してくれそうにないですねえ。

 あー寝よ寝よ。