窯変・商業資本と産業資本

Inspired by 産業資本主義と金融資本主義

商業資本の飯の種は取引機会の独占であり、産業資本の飯の種は生産手段の独占であると要約するなら、取引機会の独占で利益を得る方法はパックス・アメリカーナ時代には廃止はされていないんだけれども、見えないところに追いやられていたのだろうと思います。バナナ農園以外に働く場所がないときの「公正な」賃金って何? 農園がぼったくり放題だよね、みたいな話。

ピグーもアローも社会的公正に大きなエネルギーをさいて研究しています。市場メカニズムができるのは無駄のない資源配分だけで、それだけだと持っている者・持たない者の格差はそのまま。そのままでいいと思わなかった経済学者は近代経済学側にもいっぱいいたわけです。市場メカニズムには「いい」も「悪い」もありません。メカだから。リモコン次第ですらないから。

ローカルには色々あって、日本の戦後1970年代までの「低金利政策」は、低めの規制金利を市場に押し付けて産業を振興して(ついでに国民には住宅も建てさせて)ちょっと家計には泣いてもらいます、という話。借りれば有利な低金利貸付の配分責任者となった銀行はちょっといい思いをしてたんでしょう。今から思えば。でもおそらく、世界の表舞台では自由貿易が正義であり、産業資本主義を貫徹させようとする努力が続いていました。日本にコメを買わせるのは正義でしたし、日本の消費者への販売機会を独占する行為は、実に商業資本的でした。

1970年代からオイルマネーがふくれあがり、それと同時に、スタグフレーションで規制金利秩序が崩壊しました。今から思うと、アメリカは商業資本的な発想を取り戻したのかもしれません。これはむしろビジネスチャンスだと。アメリカの金融業界がコントロールできる運用機会をこしらえて、そのアクセスを独占することで口銭に生きようと。そして気がついてみるとオフショア市場が英領に多いのは、まあ、大英帝国おさすが。

実際の市場のルールは、市場規模に比べて巨大な売り手や買い手が入ってきてリスクを取って買い占め・売り浴びせをすることを、たいてい想定していません。人をだませば犯罪なのですが、自分のお金で市場の全商品をかっさらう行為は禁止していないのです。現代の商業資本は実際の市場にある(教科書の中では必要のなかった)ルールを研究し、その限界を衝いて利潤を得ます。

そしてヘッジファンドが生まれ、今から思うとリスク計算が根本的に間違っていた証券に高い格付けが与えられました。世界各国の巨大な年金などのファンドが高利回りに吊られて世界市場に出てきました。しかしそうした新たなビジネスを可能にした国際取引の規制緩和証券化が、誰にも全体像の分からない相互依存関係を生みました。種を明かしてしまえば自分を中抜きされてしまうのですから、商業資本に秘密主義は必須です。

その秘密主義的側面に規制の網をかけろ、とG20で独仏は主張し、先ごろオバマ政権はしぶしぶ金融規制強化策を打ち出し、議会で激しい抵抗にあっています。時価会計の適用についてもアメリカは確か経済危機を理由に保留したままですよね。世界の基本をもういちど(産業の利益率を基礎的情報として行動する)産業資本的金融資本に戻す動きが、アメリカを根拠地とする商業資本的金融資本に阻まれている格好です。

いま日本の政界では複雑なブリッジ共闘が組まれつつあるようですが、反規制緩和・反市場至上主義という軸でまとまるグループもありそうです。

ただ……原油の値上がりが世界に波を浴びせると、細かい見直しなどは吹っ飛んでしまうわけですが。