後期高齢者医療制度とCurse of Knowledge

 最近母が亡くなって、役所の窓口によくお世話になります。保険の届出・申請窓口はまるで医療機関のような雰囲気で、何人分もの保険証を広げた前で、たぶん夫婦を代表してやってきたお年寄りに係員が長い説明をしていたり、難しいケースなのか3人ほどの係員が群がるように説明とも相談ともつかない話し合いをしていたりします。

 お年寄りの中には、今までに慣れていることなら出来るが、新しいことはなかなか理解できない人がたくさんいます。そのことはどんな経済学の教科書にも書いてありませんが、ちょっとスーパーのレジや役所の窓口を見ていればすぐに気づく、常識なのです。まさにその後期高齢者に新しい制度を導入したのですから、わからない人、分からないこと自体に漠然とした不信感や不満を抱く人は、いて当然です。それは制度が良いとか悪いとかいうこととは関係がありません。

 自分の知っていること、自分にできることは、知らない人・できない人の気持ちや立場を想像するのが困難です。これを心理学の言葉でCurse of Knowledgeといいます。お年寄りに新制度を導入するときに、制度に慣れるまでしばらくのあいだ混乱が続くことは、当然予想されることです。ですが、それが新しい制度でなくなれば、いつかは慣れて気にならなくなる問題です。制度の意義があるかどうかという問題は、窓口の混乱や不満とは切り離して考えるべきでした。この問題の処理がまずければ、それは結局日本の重荷を増やすのですから。そして切り離した上で、導入時の説明や、お年寄りが起こすミスの係員によるカバーにヒトとカネを割き、問題が起きればそれを増やすべきでした。

 問題が起これば政府の失点? それは違います。問題が起これば日本の失点であり、自分の問題として何とかしないといけないのです。