非常の策としての財政赤字

 むかし伊藤光晴先生が京都大学に来られたころ、授業中の雑談でこんなことをおっしゃっていました。美濃部亮吉東京都知事の時代、東京都にもケインズ流の財政政策を勧めて、実現したことがある。不況期に赤字財政を敷いて好況期の税収で取り返す計画だったが、あれは失敗だった。東京都の経済は日本の中で他県と結びつきすぎていて、東京都の支出が他県企業・住民の収入になってしまい、東京都の税収として戻ってこないからだ。

 いま、グローバル時代を迎えて、国と国の関係にも同じことが言えます。日本がいくら財政赤字をこしらえて政府支出をばら撒いても、それは製品輸入と原材料輸入、そして日本で働く外国人の海外送金を通じて、日本の税収につながらないところにかなりの部分が逃げてしまうのです。

 しかしそれはお互いさま。アメリカの庶民が住宅担保で借金をして消費に回し、それが日本を初め世界中に仕事を作り出しました。アメリカ政府も借金をこしらえながら個人にも企業にも仕事と給付金を与えました。いま、例えば北米自動車市場が急激に冷え込んだことが、ビッグスリーのみならずトヨタなどをも直撃しています。

 そして、アメリカも欧州各国も、そして中国も、財政赤字にかまわず政府支出を増大させて需要を刺激する政策を打ち出しました。

 もちろんこれは、財政の常道を超えた行為であるかもしれません。しかしストックの世界に生まれた大嵐がフローの世界を破壊することを避けるために、今は初歩的な経済学教科書を投げ捨てるべきだ、と世界の要人たちは考えたわけです。

極東ブログ」で取り上げられているMuddling through a middling slump]は、イギリスの経済紙が日本にも歩調を合わせた財政支出拡大を求めた記事、と受け止めることが出来ます。今までの欧米の論調には、欧米を見習って日本の家計も借金を負って消費を拡大しろ、というものもありましたが、今回のものはそうではありません。破綻した個人や企業があっちにもこっちにも少しずついるとき、全体を救済することに合意を取り付けることは難しくなります。そのことが9月以来のリーマン危機が残した教訓でした。

 日本政府が今まで以上の財政赤字を振りまいたとき、増税・非政策的な政府支出抑制のほかに、財政赤字を縮小するもうひとつの手段があります。インフレ(政策的にわざと起こすものを特にリフレといいます)です。政府の債務は、物価上昇が続いて貨幣価値が下がれば、それだけ実質的に値切れたことになります。ただしその欠点は、老人たちの預金もいっしょに目減りすることです。今は昔と違って、投資信託REITなどで間接的に持つことを含めれば、個人が株や不動産など物価上昇に強い資産を少額でも持つことは容易になっています。それでも日本の老人たちは、理解しやすく引き出しやすい銀行預金(ゆうちょを含む)を持とうとする傾向がありました。日本がインフレ傾向になれば、海外資金が日本から逃げ、円を手放す人が欲しがる人より多くなって、輸出に有利な円安傾向が自然に生まれるはずですが、あからさまなインフレ誘導政策に日銀は踏み込めないでいます。

 上記の記事は、日銀の貸出増加がもっぱら発行しづらくなったCPに代わる企業の運転資金として使われ、投資の純増に貢献しないと判断して、金融政策の効果は小さいだろうと論じています。