比例代表名簿

 耳に快い、あるいは単に威勢のいい政策がマニフェストに並んでいる場合、その整合性を回復し優先順位をつけるのはまさに政治過程であり、整合性も取れないし優先順位もつかないままばらばらに政策が実行されるという結果も含めて、なんらかの結果が出ます。

 そうした、教育課程をマニュアル化しにくいスキルを覚えるには、官僚として政策決定に参加する、政治家の親族として秘書などへの任命を受け政策決定に参加するといった、正統的周辺参加(ウェンガー)が広く知られ、使われています。そうした候補者選定には世襲や縁故が入り込むため一定の弊害があります。

 政治は利害関係の調整であるため、政治的要求をそれが存在するからという理由でマニフェストに並べれば、整合性がつかなくなるのは当然です。そうしたリスティングは必要であって、原稿の草稿のようなものです。利害関係の調整が進み、優先順位がより明確になったマニフェストは、より完成度の高いマニフェストです。完成度の高さ低さは有権者の判断材料となりますが、いずれにしても与党のマニフェストだから完成している、などと仮定する理由はなく、完成度が低いほど政治的調整の仕事が多く残ります。

 そうした調整の担い手や調整案の出し手は憎まれるのが仕事のようなものです。状況が悪いとき、当然に出た悪い結果について責任を問われるのもこうした人たちです。もっぱら政治家が責任を取り、官僚が中立的な執行者としてスキルを提供していくと、後者ばかりが長生きする結果になるか、少なくとも前者は疑心暗鬼に陥るでしょう。国全体としての経済的な成功が望みにくい状況が長く続く中で前者が後者を非難し、その権限を削ろうとする気持ちは分かります。ただ官僚が行ってきた調整、とくに実行可能性の担保や政策評価を政治家が行うには、政治家側のプロフェッショナリズムが必要です。そこを個別の問題について官僚に尋ねてやっていくのでは何にもなりませんし、整合性のない「民意」を振り回せば全体としてコストの超過か重大な不備・欠落を招きます。

 それは個々の選挙区の利害とは関係のない活動ですから、民意に任せるとそうした議員は選挙で不利です。比例代表名簿の上位に、各政党が政策立案や政治調整の中心となる議員たちをどう載せていくかを、これからは有権者もしっかり判断する必要があるでしょう。