農業保護と農村保護

 ミクロ経済学の教科書的な理解から言うと、すくなくとも貿易途絶などという事態を想定して日本の食料自給率を語ること自体、およそ無意味です。最初から日本だけじゃ無理なのです。

 まず農業機械を動かす原油。数十日分の石油備蓄はありますが、それだけのこと。

 肥料は自給できているように見えますが、そのまた原料が国際的に偏在しています。

肥料価格の現状等について(農林水産省生産局 平成20年7月)

 そして労働力。最低賃金法の対象とならない外国人研修生が不足を埋めている現状です。

 ただ、食料自給というイメージが農業政策の目的に(他に良いものもないので)深く関わったまま長い年月が過ぎてきた現状があり、いまさら引っ込めることもできません。実際に農業政策が守っているのは何なのか、と考えてみることにしましょう。

 以前「日本の農業政策は農業保護ではなくて農村保護だ」と言って笑われたことがあります。大規模農家の生産性が高いという統計はずっとずっと前から厳然としてあるわけです。しかし農地法が一般企業への農地移転を阻み、農地の保有構造を変えづらくして、結果的に農村を丸ごと保存することになりました。有力者の相対的な地位も、人間関係も。そこへ補助金を流し込んで全体を支え、まあ多分その上に政治構造が乗っかっていたのが55年体制でしょう。

 それが保たなくなった契機は、1988年の牛肉・オレンジ自由化に代表されるグローバリゼーションの進展でしょう。輸入農産物の問題だけではありません。地方の労働集約的な軽工業が輸入品に負け、農家から見ると兼業先が軒並み収入を減らしたのです。地方経済が弱ると、地方の政治面での突出がかえって目立つものになり、批判を浴びて、地方交付税財政投融資と言った再配分装置が相次いで地方へのパイプとしての力を失いました。

 そして「担い手」重視政策が来ました。農業政策が突然、純粋な経済政策になったのです。大規模農家とそれに順ずる規模を持つ農業生産法人以外は、2007年から所得補償的な補助金を受けられなくなりました。

経営所得安定対策等大綱 (農林水産省 平成17年10月)

 この流れの上で、民主党の「農家所得補償」政策を理解すべきでしょう。2007年に激変した分を元に戻そうというのです。どれくらいかは知りませんが。

 国や自治体にとって法の下の平等(憲法第14条)は重い原則で、崩すと収拾がつかなくなります。被爆者援護法が(対象となる人数、したがって財政負担はもともとそれほど多くないにもかかわらず)ずっと成立しなかったのは、他の戦災被害とのバランスがあるからです。農家が農家であるというだけで保護を受ける制度など作ったら、違憲論が出るかもしれません。直接支払(直接補償)自体は、WTO体制と農業保護を両立させる便法としてEUが導入していますから、国民と議会が思い切ればそれで済む話……であるはずですが。


EUの直接支払制度の現状と課題――政策デザインの多様化と分権に向かって―― (石井圭一、農林金融2007・6)

 いずれにせよ、「農業保護の名目で地方の老人世帯に流れてきたお金が止まった」ことを、ずっとその裏に隠れていた社会保障問題として捉えなおし、議論することは必要でしょう。